土曜日のヒラリー・クリントンさんの選挙戦終結スピーチ。
いやあ、感涙でした。
子と一緒にね、見ましたよ。
"... Like millions of women, I know there are still barriers and biases out there, often unconscious, and I want to build an America that respects and embraces the potential of every last one of us ...
You can be so proud that, from now on, it will be unremarkable for a woman to win primary state victories, unremarkable to have a woman in a close race to be our nominee, unremarkable to think that a woman can be the president of the United States. And that is truly remarkable, my friends.
To those who are disappointed that we couldn't go all of the way, especially the young people who put so much into this campaign, it would break my heart if, in falling short of my goal, I in any way discouraged any of you from pursuing yours.
Always aim high, work hard and care deeply about what you believe in. And, when you stumble, keep faith. And, when you're knocked down, get right back up and never listen to anyone who says you can't or should't go on.
As we gather here today in this historic, magnificent building, the 50th woman to leave this Earth is orbiting overhead. If we can blast 50 women into space, we will someday launch a woman into the White House.
Although we weren't able to shatter that highest, hardest glass ceiling this time, thanks to you, it's got about 18 million cracks in it ...
The light is shining through like never before, filling us all with the hope and the sure knowledge that the path will be a little easier next time ..."
参考 The Sunday Denver Post (June 8, 2008)
全文はこちらでも読めます:
Text of Hillary Clinton's speech (Rocky Mountain News)
Transcript - Hillary Clinton Endorses Barack Obama (NYTimes.com)
おお、週末なのにコンピュータしとる!
ええ、ええ、えせ山男が山に行きましたもので。

片道4時間もかけて、まあごくろうなことで。
こういうときは、仕事を早めにきりあげて喜々と帰ってくる。
なんともまあ楽しそうだこと。
しかし、とーちゃんの趣味は金がかかりすぎだね。
このガソリン1ガロン4ドル(約3.8リットル430円)の日々に
8時間も4WDの車を乗り回してくるとはなにごと。
こちとら、自転車でちょこまか動き回っているというに。
(○`ε´○) ぶーぶー
先日ね、クレジットカードの請求書をチェックしていたんですよ。
うちの財布をにぎっているのは夫なので、
私は請求書の内訳を確認して間違いがなければ
夫に「これ払え」と申しつける役。
まあ、この確認作業も以前は夫がしていたのですが
どうも期日ぎりぎりに払うことが多いので
約束時間の10分前には必ず到着しているタイプの私は
いつもイライラしていた。
そして、ある日イライラするぐらいなら
ワテがやってやるーっと、のっとってみた。
それに味をしめた夫は今や、
支払い(小切手を書いて投函する)も私に任せたいかのような
勢いだった。
そして先日のこと。
とある請求書のレシートが見つからない。
リストされていたのは1つだけだったんだけど、レシートがない。
さてはおぬし、なくしたな〜?!
大事件になりました。
家中を探して、ありとあらゆるポケットの中をさぐって
夫は以前に、ジーンズのポケットにレシートを入れたまま
洗濯機に入れたことがあるから
今回もそんな感じで無くしたのだろうと思った。
(`Д´) ムキー!
たよりにならん、
これからはもうレシートだって私が管理してやる!
心ひそかに誓った。
買い物に行ったことは確かだったから、
とりあえず払えと渡したところ・・・
ヽ(`Д´)ノ
ヽ(`Д´)ノ
ヽ(`Д´)ノ
あら、机の向こうで誰かさんが大騒ぎしているわ。
なにかしら〜
さっさと払えばよいざますよ〜
「アナタには
小切手をわたしませんよっ
怖くてまかせてられませんよっ」

「よく見てください」
「はあ?どこを?なにをみろっていうのよ?」
「いくら払えというのですか」
「だから87ドルだってば、ちゃんと書いてあるじゃないの」
「・・・・・。
それなら請求額はいくらになってますか」
「請求額?
えーと請求額の欄はここで
請求額は・・・ ・・・」
ひゃあ〜請求額は「0ドル」だって、なんだそりゃ〜?!
あらやだ、87ドルという文字の隣にはCRと入ってる。
CRはクレジットという意味だから・・・
あらやだ、この87ドルは前回払った分の金額だったんだわ〜
どうも失礼。(-_-)ゞ゛
雹の音に震えていたデイナ、無事吐かずにおわりました。
えらい!やったー
ほっ、安堵です。
と思ったら・・・
ゴロゴロゴロ、ドーン!
雷にちびった!い、いや、デイナじゃなくて

なんだなんだあ、3才にもなってちびるのか?!
そんな軟弱でよいのかあ、けむくじゃらいちおうトップドッグ男子よ!
いかんなあ〜
(´Д`) ハゥー
昨日は、不良娘の誕生日祝いのメッセージを下さって
ありがとうございます〜
かの有名な、アンジェリーナ・ジョリーさんと同じ誕生日らしい。
ええ、私のアンジェリーナと同じですと!
なんて奇遇な!
うんにゃ、ただの偶然です。
残念無念。
私は、子が4人ほしかったのですよ。
それも種のちがった4人がね。
人種の違う人間の子どもを4人のはずが
人間1+犬3=4
になった。
ま、種が違うところは達成ということで。?
先日、
Ramboo (2008)(
「ランボー 最後の戦場」公式サイト)をみていました。
このストーリーは、不愉快だった。
ビルマ(ミャンマー)の民を救いたいのはよい、
ただその自分達の「崇高」な目的を果たすために、
他者の命については考えていないような節が納得いかない。
戦地に武器をもたずに入って、何を期待する?
自分たちの身になにか起こったとしたら?
自分の意志で敵地に入って死ぬのはその人達の自由。
でも、救出作戦にかりだされる者の命は?
イライラしながら観終えた映画でした。
でも、この映画は、別の意味で価値があると思います。
ビルマ(ミャンマー)のことをより多くの欧米人に伝えるきっかけになるはず、
アメリカではダルフール紛争はよく知られているけれど
ダルフール紛争よりひどいと言われるビルマ(ミャンマー)の状態は
あまり知られていない。
この映画は、目をそむけたくなるシーンがたくさんあります。
DVD付録によると、それらのシーンは真実により忠実に再現したものだそう。
(付録には、昨年9月に日本人ジャーナリストが銃撃されたときの映像もあります)
そして、現実には、映画では公開できない酷さのことが行われているという。
映画のなかで、ランボーが
"Live for nothing or die for something"
と言うシーンがありますが
これはビルマ(ミャンマー)の人達の心に深く響いた言葉だそうです。
それがまさに、彼らの人生だから。
そういう背景をふまえて再び映画をみてみると
違った感情が心に響いてくる。
数日後、私は
Doctors Without Borders USA(国境なき医師団USA)から
寄付案内の封筒を受け取った。
どこから私の名前住所を手に入れたのかわからないけれど
この奇妙な偶然に、
たいていの寄付案内は捨てる私が
未だに捨てられずにいる・・・
お、雹がふってきた。
う〜ん、やたら大きな音をたてているなあ
まさか屋根に穴があくことはあるまい?
それよりも、デイナが震えていることのほうが気になる。
雷はね、恐すぎるのか、吐いてしまうのです。
だから雷が鳴りはじめると
テレビを大音量でつけて、おやつをもちだして、
いっぱい遊ぶ。
花火のときも同じ。
まさか雹では吐くまい?!
ウーン /(-_-)\
さて、本日2回目の更新です。
開放感ありすぎ。
犬は見かけじゃないですが
人間は見かけです。
ええ、見かけです、見かけ勝負!
あら、私としたことが意外なことを言うな〜と思いました?
まあね、私もそう言われたらあーだーこーだ説いていそうな時期が
あったことは白状します。
中学校のときだったかな、
ある先生がね、熱かったんですよ。

あまり似ていない気も・・・(-_-)ゞ゛
いつも、腕まくりして、大きな声で、鼻息荒く
「男は顔だっ」と叫んでいた。
そのときは、センセアツイヨと冷めた子だったのですけど(すみません)
今、思うのです。
やっぱり男は、いや、人間、顔です。はい。
ほらね、私は30代半ばなのですが、こう、なんていいますか
今まで生きてきたことが、顔に表れだした気がするのです。
で、未熟な私は今まで
世の中の悩みをすべて背にしているかのように
しかめっつらばかりしてきたから
顔の皺が深くなってきた・・・
とくにコロラドに来てからは、
自分の夢とか希望とか失ってしまったから
毎日が苦痛でたまらなかった。
そういう10年間が、顔にね、
顕れてしまっている。
◇
今、森毅さんの
『
考えすぎないほうがうまくいく―“やわらか発想・寄り道思考”のススメ (知的生きかた文庫)』
という本を読んでいます。
森毅さんの本は、大学時代によく読んで感動したり共感した。
だから、日本に里帰りしたときにみつけたこの本は、迷わず買って
コロラドにまでもってきた。
それからどれくらいの月日が経ったのかわからないけれども
日本語の本が読みたくなって今開く・・・
あんなに共感したものがあったのに、今では違和感を覚えることも多々。
自身では意識していなかったけれど
良くも悪くも自分も年をとったということかな、なんて思った。
でも、そのなかで、とても印象に残る文章があった。
ぼくは六十になったとき、これからをどう生きるか考えた。三十のとき、自分はなにをしたと、過去の遺産で生きるのはつらい。体の物質はどんどん入れかわっているし、頭の配線も組みかわっている。それなら、二十年前の自分は赤の他人と思おう。こうしてぼくは「人生二十年節」を唱えている。・・・
人生を八十年とすると、四回も人生があることになる。現代の不幸は、二十からの第二の人生が、それまでの第一の人生で決まるように思いすぎることだ。・・・
第二の人生に奉仕するための第一の人生や、第三の人生に奉仕するための第二の人生では、暗い。そして、第一の人生で準備した第二の人生や、第二の人生で準備した第三の人生も暗い。それよりは、さしあたりの二十年ほどを、ひとつの人生として輝いたほうがよい。その人生を輝いたなら、次の新しい人生も輝きやすい。それに、四回あると思えば、そのうちのひとつぐらい、うまくいかなくてもどうということはない。人生八十年の時代に、ひとつながりで生きるのは、長すぎる。・・・
第一章内 pp18-19 (自分を大きく変えるチャンスは"四回"ある!)
買ったばかりのときに読んだときは、実感なかったのだけれど
今はこれがよくわかる。
わかる、というか、今の私にはとてもありがたい見方だった。
今までの私は、30代半ばになりながら、
失敗ばかりの人生だったから
これからの人生も失敗だらけになるように思えていた。
私は人生五十年と思って生きているのだけれども
でも、「人生二十年節」という見方で、
数年後には第三の人生が待っているのだと思うと
なんて楽しみなことか!
◇
第三の人生はどんなものにしよう?
顔の皺ひとつでも、それがネガティブなものではなく
自分で自信をもって語れるような、
そんな顔になれる、人生にしたい。
「アフリカの子どもたちは・・・」
子どもの頃、そう言われた。
とかく文句ばかりでる子どもに、
世の中、恵まれない存在があるのだということを
親なりに伝えたかったのかもしれない。
そんなとき、子どもの私は
「そんなこと言われたって自分は日本にいるんだから
比べられても困る」
そう思っていた。
夫は 「中国の子どもたちは」というセリフで育ったそうだ。
こういう、自分たちより「不幸」な存在を「知らしめる」ことで
自分の「幸せ」を感じさせようという方法は、世界共通なのか。
そして今、私達は
「アフリカの子どもたち」
というセリフを子に言ってしまっている。
言いながらも、どこか違うんだよな、そう思っている自分がいる。
◇
2週間ほど前、私はメンテナンスが必要な庭に怒っていた。
抜いても抜いても生えてくる雑草、薬が必要な木々、ミニミニのくせに
いっちょまえに手のかかる池・・・
庭の手入れとかしている時間もお金もないけれど
ほおっておくにはいかないから、夕食後とか時間を見つけては
とりあえずたんぽぽだけは増やすまいと
抜いていた。
1週間後、庭のはじまでいった。
たんぽぽの根は深くて、薬を使わずではなかなか退治できないものだけれど
いちおう地上にでている分の根はとっていたから
次に芽がでてくるまでちょっとは時間がかかるはずと思っていた。
「さあ、これでしばらく解放されたぞ」
ウキウキと家にもどりかけてふと目をあげると
1週間前に雑草とりをしていた部分に、すでに無数のたんぽぽが生えていた・・・
腰の痛みをがまんしながら
がっかりして家に入ると、夫がソファでのんびりテレビをみていた。
突然怒りが湧いてきて私は怒鳴った。
「切れ、庭の木をすべて切ってしまえ!」
◇
問題は、雑草ではない。木でもない。
やたらメンテのかかる庭でもない。
ましてや、仕事から帰ってきてひと息ついていた夫でもない。
問題は、私、なのだ。
◇
幸せという価値・価値観は、物差しでははかれない。
だから無限にひろがる可能性があるかわりに
逆方向にいってしまうと
底なしでどんどん落ちてしまう可能性もある。
幸せというものは、他人に指摘されて感じるものでもないから
人からどのように言われようと諭されようと
自分が感じられなければ、「幸せ」ではなくなる。
そして、世の中なぜか幸せばかり追求する風潮があるから
「幸せ」を得るためにがんばろうと思ったりする。
幸せとはなにか、
人は幸せでなければいけないのか、
なにをもって幸せとするのか。
◇
人が、人の心が、満たされていれば
そこには幸せがある。
なにも血汗流す努力をせずとも今の状態のままでも、
見方さえ変えることができれば
幸せなんてそこらへんにいっぱい転がっている。
幸せとはそんなもののはず。
そしてそれは決して物の豊かさやお金の有無では
はかれないものだということは
誰もが知っている。
だからこそ、「アフリカの子ども」などと例をだしておきながら
違和感を覚えるのだろう。
そりゃ確かに、自分のほうが物質的には恵まれているかもしれないが
自分のほうが幸せだなんて誰が言える?
考えるより感じよ。
これが今の私に欠けていること。
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