考えるより感じよ
Wed.05.28.2008 Posted in 外国人な日々
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 「アフリカの子どもたちは・・・」

子どもの頃、そう言われた。
とかく文句ばかりでる子どもに、
世の中、恵まれない存在があるのだということを
親なりに伝えたかったのかもしれない。

そんなとき、子どもの私は

 「そんなこと言われたって自分は日本にいるんだから
  比べられても困る」

そう思っていた。
夫は 「中国の子どもたちは」というセリフで育ったそうだ。
こういう、自分たちより「不幸」な存在を「知らしめる」ことで
自分の「幸せ」を感じさせようという方法は、世界共通なのか。

そして今、私達は

 「アフリカの子どもたち」

というセリフを子に言ってしまっている。
言いながらも、どこか違うんだよな、そう思っている自分がいる。



2週間ほど前、私はメンテナンスが必要な庭に怒っていた。
抜いても抜いても生えてくる雑草、薬が必要な木々、ミニミニのくせに
いっちょまえに手のかかる池・・・

庭の手入れとかしている時間もお金もないけれど
ほおっておくにはいかないから、夕食後とか時間を見つけては
とりあえずたんぽぽだけは増やすまいと
抜いていた。

1週間後、庭のはじまでいった。
たんぽぽの根は深くて、薬を使わずではなかなか退治できないものだけれど
いちおう地上にでている分の根はとっていたから
次に芽がでてくるまでちょっとは時間がかかるはずと思っていた。

 「さあ、これでしばらく解放されたぞ」

ウキウキと家にもどりかけてふと目をあげると
1週間前に雑草とりをしていた部分に、すでに無数のたんぽぽが生えていた・・・

腰の痛みをがまんしながら
がっかりして家に入ると、夫がソファでのんびりテレビをみていた。
突然怒りが湧いてきて私は怒鳴った。

 「切れ、庭の木をすべて切ってしまえ!」



問題は、雑草ではない。木でもない。
やたらメンテのかかる庭でもない。
ましてや、仕事から帰ってきてひと息ついていた夫でもない。

問題は、私、なのだ。



幸せという価値・価値観は、物差しでははかれない。
だから無限にひろがる可能性があるかわりに
逆方向にいってしまうと
底なしでどんどん落ちてしまう可能性もある。

幸せというものは、他人に指摘されて感じるものでもないから
人からどのように言われようと諭されようと
自分が感じられなければ、「幸せ」ではなくなる。

そして、世の中なぜか幸せばかり追求する風潮があるから
「幸せ」を得るためにがんばろうと思ったりする。
幸せとはなにか、
人は幸せでなければいけないのか、
なにをもって幸せとするのか。



人が、人の心が、満たされていれば
そこには幸せがある。

なにも血汗流す努力をせずとも今の状態のままでも、
見方さえ変えることができれば
幸せなんてそこらへんにいっぱい転がっている。

幸せとはそんなもののはず。

そしてそれは決して物の豊かさやお金の有無では
はかれないものだということは
誰もが知っている。

だからこそ、「アフリカの子ども」などと例をだしておきながら
違和感を覚えるのだろう。
そりゃ確かに、自分のほうが物質的には恵まれているかもしれないが
自分のほうが幸せだなんて誰が言える?

考えるより感じよ。

これが今の私に欠けていること。

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