腐れ縁だ許せしっぽー
Fri.05.30.2008 Posted in コロラド犬生活
0 trackbacks
昨日の話で心配させてしまったようですね。
実は続きがあったのですが、長くなるから明日にしようと手をとめていました。
今、いただくメールにお返事ができない状態なので(すみません)、
お答えとなるものをブログで書いていければと思っています。

犬の幸せをめぐる葛藤」のようなことを真剣に考えるようになったのは
問題犬のリハビリで有名なDog Whisperer with Cesar Millan
エピソードガイド本を読んでいたときでした。

この本では、3シーズンまでのエピソードを簡単に紹介、
とくにそれぞれのエピソードのその後や、収録の裏話などは
2シーズンまではDVDを買って何度も見た私にも
また見てみたいと思わせる興味深いものでした。

ドッグウイスパー

DVDをみていると、シーザーさんのもと皆成功していて

 「犬に過去は関係ない、今、変えようと思ったら
  今変われるのが犬なのだ」

と説くシーザーさんをみながら
どんなにしっぽーのリハビリをがんばっても効果がでてこない私達は
なんてルーザーなんだと落ち込んだ。

それが、この本で各ケースの「その後」を読んでいたら
新しい家族にもらわれていったケースがあるという。

例えば、シーズン1の50ケースのなかで

 その後のレポートがないのは・・・7
 シーザーさんのもとへ引き取られたのは・・・1
 新しい家族のもとへいったのは・・・4

はじめはね、ちょっと嬉しかったんですよ。
「ああ、ルーザーは私達だけじゃないんだ」みたいな。
ルーザーという言葉は強いけれども
分かり合える同士を見つけた、みたいな、ね。

けれども、シーズン2のその後を読み進めていたら
どんどん気分が落ちていった。
なぜなのだろうと思って気付いた。
それはその新しい家族にもらわれていった犬達の描写・・・

 "is now living happily with another family"
 (違う家族のもとで幸せに暮らしている)

もしかすると、しっぽーにもこんなチャンスがあって
私達はそれを遮っている存在に成り下がっているのか?



昨日の話を書いていたときには
からまった糸をほぐすかのように頭の整理はしていても
特に深刻になっていたり悩んでいたつもりはなかったので
メールをいただいたときにちょっとびっくりして
自分のブログにアクセスして読んでみた。

そして気付いた。
前オーナーがいたのは、デイナだけではなかったことに。
しっぽーも、レスキュー団体を通しこそはしなかったけれど
前オーナーから「譲り受けた」存在だったのだ。

そのことを、すっかり忘れていた・・・

なぜだろう。

そして、デイナを「かけがえのない存在」と描写しているのに
同じことをしっぽーには言わなかった、いや言えなかったのは
なぜなのだ。

犬達を贔屓目で見ているつもりはなかったのに。

ショックだ・・・



しっぽーを新しい家族へ送る、というイメージをしてみた。

『事前にしっぽーの病歴やら過去やらの話を伝え
 何度かうちにも来てもらって接してもらう。
 そしていよいよ決まりとなったならば
 しっぽーを送っていこう。

 新しいおうちで、新しい家族にかこまれたしっぽー。
 しっぽーのことだから、皆に愛想をふりまくことだろう。
 ひとり娘としていっぱいかわいがってもらうんだよ、
 私達ではあげられなかった幸せを
 いっぱい受け取って
 毎日楽しく幸せに・・・

 さあ、私は自分の家にもどるときがきた。
 この人達なら大丈夫、しっぽーを幸せにしてくれる。

 別れのあいさつに
 しっぽーのひたいにキスを・・・』

あ、

ちょっとまて

なによ

なんで涙が出てくるのよ







悪いけれども
やっぱり私達と生涯をともにするのだ。
腐れ縁とでもなんとでもいってくれい、許せしっぽー。



アップル社の世界一薄いと言われる
MacBook AirのCMに使われている歌をご存知ですか。

私は、アップル社の、PCと比べるバージョンのCMが嫌いなので
コマーシャルをみているときには特に意識しなかったのですが
ラジオをきいているとよくかかっている。

ある日、歌詞が耳に入ってきて
すごく気になる歌になった。

Yael Naim "New Soul"
yael naim new soul clip (YouTube)
New Soul (新しい魂) (訳せ!洋楽)

ニューヨークでカウンセリングの勉強をしていたときに
私はアドバイザーから言われたことがあります。

 「良いカウンセラーになろうと思ったら
  まずは助けを求めることを学ばなければならない」

私はいつも人に助けを求める(ask for help)することが苦手で、
いや、苦手なんじゃなくて、それが嫌いだった。
自分でがんばってみて、出来ないものは、
自分の努力不足とか力不足とか、結局は自分が原因なのだから
人様の行為に「甘えて」まで達成しようと思ってはいけないと思った。

書き方があいまいだけれども
そんな自分の態度は、ついに変えられず
今でも、人にヘルプを求めることはできない自分がいる。

今回のしっぽーの件が
そういう自分の頑固な態度も関係するのか、

正直わからない。

いろいろ差し伸べてくれる手には感謝しながらも
なんとか拒否しようとする自分がいるのも事実・・・

 "I'm a new soul I came to this strange world
 hoping I could learn a bit about how to give and take.
 But since I came here felt the joy and the fear
 finding myself making every possible mistake..."

topBack to TOP